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聞かれてもいないのに話すわたしの人生#episode1

聞かれてもいないのに話すわたしの人生#episode1

【聞かれてもいないのに話すわたしの人生。#episode1】

今日は聞かれてもいないのに
わたしの人生を話してみます。

記憶では、わたしがいわゆる
「普通」でなくなったのは小学生の頃。

幼稚園生の頃は担任のみえ先生が

大好きで幼稚園を楽しんでいたと思う。
すでにこの頃は

ひとりだけパーマをかけて
顔は外人みたいで

目立っていたかもしれないけれど。

小学校1年生はわくわくしながら入学した。
だけど小学2年生から
「あなたがいると輪が乱れるの」
「こういう時は泣いた方がいいのよ」
「その方がうまくやっていけるから」
先生にそう言われ続けた。

母はしょっちゅう学校に呼ばれていたみたいだし
わたしはわたしが何をしたのか
まったくわからなかったけれど
どうしてか周りと同じようにしていても
目をつけられるってことだけはわかってた。

中学生のころは
名前と存在だけで男子から目をつけられたし。
高校入学式のあと、他学年にベランダから名前を叫ばれたり。

馴染みたかった。
でも馴染む必要ないってこともわかってた。

《先生だからといって偉いわけではない》
《同じ立場だと思って従う必要はない》

父はいつもそう言ってくれた。

「学校を休みたい」と母に言ったときは、


「もちろん、休んでいいよ。」
「ただ、一緒にでかけよう。」


と言ってくれて美術館に遊びに行った。

わたしがわたしなら
母も母なんだな〜と思ったし、

そのおかげで翌日から
わたしはまた学校に行くことができた。

母はわたしに理由は言わないけれど
その時期から、中学卒業まで
PTA役員になって毎日のように学校にいてくれた。

過保護かもしれないけれど
学校の中で母の姿がたまにチラ見出来ることが
わたしはとっても嬉しかった。

テストが100点じゃないと褒めてくれなかったけれど
母から受ける愛情は目一杯受けたわたしの幼少期。

まだまだちゃんと思い出せる、
幼稚園生だったころの母とのやりとり。
小学生の頃に夜泣きを繰り返した深夜の思い出。
中学生のころにまだ自分は子どもなんだと
思い知らされた母とのやりとり。
高校生のときにやんちゃして怒鳴られた記憶。

わたしのベースは母との思い出。
そんな母を、わたしは23歳で失いかけた。

続く💗