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聞かれてもいないのに話すわたしの人生#episode2

聞かれてもいないのに話すわたしの人生#episode2

【聞かれてもいないのに話すわたしの人生。#episode2】

前回から突然始まった、
聞かれてもいないのに話すわたしの人生。

昔からわたしは自己啓発が好きで
読む本はだいたい心理学がらみだった。

死生観とか自分とは?
ってよく考えていたの。

詩を書くのも好きだったし
自分の心と会話する交換日記みたいなのも書いていた。

そんな分野が好きで、
将来は自然と看護師って決まってた。

いざ入学して看護学生になったら
教科書通り、受け身の授業、与えられた課題の提出と苦痛の日々。
おかげで授業はずっと寝ている、ひどい生徒でした。
ただ、実習だけはほんとうに楽しかった。

患者様と自由に会話ができる。
患者さんの個別性を分析して、言葉に起こして
それをまた翌日、行動に起こせる毎日。
自分の想像しているように看護ができて、
自分次第で思う存分、患者さんの人生に関われる。

わたしは《死生観について考える》ことが大好き。
だから次のステップは《命を育むこと》

そう思って女性診療科で数年経験を積んだ。

赤ちゃんや妊婦さんがいる産婦人科
早産や流産、ハイリスク妊婦さんの処置やケア。

女性診療科なのでもちろん
女性生殖器の手術目的のがん患者さん
終末期のがん患者さんもいるし、

女性に特化した病棟で

女性の人生に触れた。

触れるたびに思ってた。

わたしも女性に生まれてよかったって。

女性って愛に溢れているなあ。

女性って愛そのものだなあって。

広い心と深い愛で全部受け止めれる存在だな〜って。

これからもっとたくさんの人の
人生に触れたい、かかわりたい
そう思っていた。

だけれど、23歳の夏、
母が急性骨髄性白血病を発症した。

父から電話がかかってきて
《お母さんの脚があざだらけなの。》
《今病院で受診待ち中》と連絡がきて、

すぐに白血病ってわかったから
小さな病院の診察待っている場合じゃなくて
いますぐ医療センターに行けと命令するわたし。

ちょうどその時タイミング悪く
わたし、40度の熱が出ていたんだけど
ショックすぎて翌日には平熱まで下がった。

翌日病院に行くと、何本も輸血に繋がれる状態の母。
顔は腫れ上がってパンパン。

それがどういう状態かわかるから
声がかすれるくらい泣いた。
母を失うかもしれないって本気で思った。

23歳、わたしを産んでくれた母と
23年間しか一緒にいないのに
足りなさすぎるよって思った。

時間を作っては毎日のように通っていた頃
わたし妊娠したんだ。

お母さんまったく喜んでくれなかったけれど
そこで決意したの。

続く。