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わたし”母親兼父親”になってわかった。

わたし”母親兼父親”になってわかった。

【わたし母親、兼父親になってわかった】

ずっとずっと夫と上手に生活できなかったのは、

夫のせい、夫が家事を一緒にしてくれないから。

子どもたちと一緒に遊んでくれないから。

そう思っていた。

『家にいてラクだな、時間あるだろ』

『昼寝もできるし、好きな時におやつを食べられるし』

そう言われるのが嫌だった。

休みの日くらい、動いてよ。

休みの日くらい子どもと遊んでよ。

休みなんだから早くおきなよ。

そう思っていたし、

そう動いてくれないならいらないと思った。

でもわたし、『母親 兼 父親』になってわかった。

じゃあ今すぐに同額稼げるのか?

どうやって稼ぐのか?

じぶんが働くことをやめたら家族はどうなるのか?

稼ぎ頭の責任の重さをわかっているのか?

さらには会社を継ぐ者の重圧を知っているのか?

いまはその重大さがわかる。

誰のおかげで専業主婦でいられたのか。

誰のおかげで明日必要な生活費のことを

心配せずにいられたのか。

問題は、夫がなにもしないことではなく、

わたしが利己的であったからだと今ならわかる。

お互いに利己的で、

家族のために動く喜びも感謝も知らないから、

『〇〇のせい』が生じたんだ。

『仕事』は好きだから楽しいけれど、

そこに体力の問題が重なり、

時間の問題が重なり、

さらには子どもの心配も重なり、

明日、来年、何十年先の未来のための

【養う責任】をわたしは理解していなかった。

毎日朝から晩まで一生懸命働く大変さ、

おこづかいの少ない中、

必要経費は増える一方で、

俺は家族を養っていくために働くんだ。

この心と身体の状態をわたしは分かっていなかった。

彼が、わたしには見せないような姿で

一生懸命がんばっていること、

頭の中はいっぱいいっぱいになっていることも

わからずにいる利己的なわたしと

休日に家庭を顧みず、優しい言葉もない夫は、

似た者同士であり

同じことをお互いにしていたんです。

休日に夫の姿を見てイライラするのは、

じつはじぶんも家や子どもの世話を休みたいから。

夫には仕事を免除される時間があるのに

母親は免除されることがないから。

家事も育児もどこかで『母親の仕事』と考えていたから。

『母親 兼 父親』になってわかった。

じぶん1人ではなく、

じぶんがいなければ路頭に迷う家族を

想いながら働くことは、

とんでもない重圧だって。

別れてよかったことたくさんある。

気づいたことがたくさんある。

わたしに暴言を吐いていた彼はきっと

心のSOSサインだったんだね。

って今なら、ね。

ありがとうありがとう。

でも悔しいから、わたしは楽しみながら

遊んでいるように仕事をする。

自己実現も、社会貢献も、

もちろんお金を稼ぐこともぜんぶやる。

だってわたしは欲張りだし、

ぜんぶ実現させて死にたいから。