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僕たちを守るために、大人は考えることをやめないで。

僕たちを守るために、大人は考えることをやめないで。

【僕たちを守るために、大人は考えることをやめないで】

 衝撃が走ったのではないでしょうか?

お子さんを持つお母さん、お父さん。

我が子に置き換えて考えてみましたよね。

コロナ禍の中で起きた、高槻市のニュースです。

少し前のお話になりますが、持久走をマスク着用で

行っていて、そのお子さんは亡くなりました。

また大人の力でねじ伏せられるのではないかと

心配していました。

いつも言っている。

一番危険なのは【考えなくなること】

亡くなった彼の直前を想像すると本当に心が痛い。

針で突き刺されているような感覚になる。

ハァハァ、苦しい。

持久走だ、あと少し頑張ろう。意識が朦朧とする。

あと少しだ、しんどい。頑張ろう。

そんな状態の子どもに

『外さなきゃ!』

こんな選択肢が浮かぶだろうか?

誰のせいでもないけれど、

少なからず、子どもに判断を委ねていいものかと

大人は考えるべきだった。

「した状態」を想像するべきだった。

「倒れていた時は顎にかかった状態だった。」

こんなことはどうでもいい。

誰に責任を問うか、という伏線にすぎないから。

言い訳したい心理が見え見えだから。

それよりも子どもが身をもって教えてくれた。

【僕たちを守るために大人は考えることをやめないで】

必要な人はいる。いらない人もいる。

何が何でも罹患してははいけない人がいる。

感染しても大丈夫な人もいる。

みんな違う、

身体が違う、免疫が違う、人種が違う

環境も違う、職業も違う。

じぶんに合った方法をとればいい。

【じぶんには必要なのか…】

その議論の結果必要ならばじぶんは着用する。

それでよくないだろうか?

必要なければ着用の義務はない。

子どもに判断を委ねていい場合と

そうでない場合を家族で話しあおう。

誰かがこう言ったから、

学校がしなさいと言ったから、

テレビがこう言っていたから、

それによって何かが起きても

誰も責任はとっちゃくれない。

子どもが苦しそう、

そう思ったのならそれが理由でもいい。

難しい話はいらない。

【子どもが苦しいのは嫌なので】

これが理由でいい。

難しい話をして戦う必要はない。

じぶんの立場で考え意見を表現できる大人でいたい。

それが子どもを守る一歩になり、

声をあげたひとのまわりには必ず

賛同する人が現れるから。

本当に、心底思う。

結局は我が子を守れるのはわたしだけだから。