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最後の責任は誰が背負うのか。

最後の責任は誰が背負うのか。

【結局責任は誰が取るのか。】

もし、あなた1人のために

お国の偉い人が謝ってくれたり、

会見を開いてくれたり、

誠心誠意、理由や意図を教えてくれた。

ということがある人がいたら教えてほしい。

わたしは小学生のころから考えて、

わたしの持つ疑問や納得のいかないことに

誠心誠意、答えてくれた大人に

出会ったことがない。

それどころか

はっきりとは言わないが、上手に日本語を使って、

結局は責任から逃れるような仕組みづくりをしている

場面を多くみてきた。

強制かと思いきや実際それは任意で

受け取り側が読みたくならないような

難しい言葉を巧みに使い、同意書をとらせる。

〇〇のお願い、〇〇要請、と

柔らかくいっているようだが、

メディアを使いそれが強制かのような

錯覚を感じさせる手法。

これはなにも日本の偉い人たちだけが

行っていることではない。

感染対策をしましょう。

予防は徹底的に。と言われるので、

企業や学校はそれなりの対策をすることになります。

だって、しないと指摘されるんだもん。

そして、いざ、現場で何かあった時や

クレーム(意見)があった時はどうだろうか。

【厚労省が言っているので】と返答される。

【教育委員会からの指示で】と言われる。

しかし、どうだろうか。

さらに上の組織に意見を求めると

【判断は現場に任せています。】

返答はこれなんだ。

結局はどこも誠意のある答えは返ってこない。

なにかあるかもしれない事の判断は、

この国ではすべてじぶんの責任というわけだ。

だから、見たり聞いたりしたことの真相や事実確認は、

じぶんの目と耳と口で再確認するべきだし、

同意書を書かせるということは、

責任はこちらにはありませんよ、わかっていますね?

というお知らせなので、

そこを承知の上の同意ということを忘れてはいけない。

この国はまだ【任意】で選択していいことが

たくさん残っている。

他国に比べて任意で判断していいということは、

まだ幸いなことなんだ。

子どもに関する選択、

じぶんの命に関わる選択については、

ほんとうにじぶんと子どものためなのか。。。

リスクとメリットを比較して見る冷静さがほしいと思う。

なにかを決めるときには、

すべてじぶんの意思で決めている。

ということを忘れてはいけないよ、ね。