【母からも隔離された女の子 】
『一緒に生活していたら偏見を持たれるから
ホテルへ 行って欲しい。』
この言葉はコロナ患者となった大学生の女の子が
母親から言われた言葉。
『お母さん、わたしは家で療養したい。』
女の子のこの言葉の裏側を母親は見ただろうか。
表情を見ただろうか。
古びたビジネスホテルに一人で
何日も過ごすことへの不安。
毎日を過ごす自宅で療養したいと思うのは、
彼女の不安の表れ。
じぶんの部屋にこもる事になるだろうけれど、
日常の生活音が聞こえる空間で安心感を覚える。
一緒には食べられないだろうけれど、
母の作ったごはんを食べて見守られている気持ちになる。
ドア越しになるだろうけれど
いつでも「大丈夫?」の声が届く。
子どもの、この安心感を母は想像しただろうか。
女の子の濃厚接触となった家族は、
自宅に彼女を残し、PCR検査を受けにいく。
彼女は自宅に取り残されたこの現実に
耐えられるかどうか、わたしは心配だった。
ひとりで感じるだろう虚無感。
すがりたい気持ちとは裏腹に
母親への不信感と絶望。
彼女はのちに
家族を思いホテル移動することを決める。
翌日、わたしは出勤すると一番に彼女に電話した。
本心では自殺していないか心配だったから。
「昨日はありがとうございました。」
彼女は丁寧にわたしに挨拶してくれましたが、
食欲が全くないと。
なにか少しでも、と思い口にできたのは、
『マックのナゲットを少し。』
なんだか私まで虚しくて。
お母さんごはん作ってくれなかったのかな。
提供してくれなかったのかな。
彼女の意思で頼んだのかな。
わたしの心は、
仕事の範囲を越えないようにすることに必死だった。
彼女に伝えたいことは伝えられた。
じぶんことはじぶんの意思で決定しなさいということ。
学生とは言えど成人しているので
親の言うことがすべてではないこと。
じぶんが身を置きたいところに置いたらいいこと。
家族でなくてもあなたのことを心配する人。
助けてって言えば助けてくれる人が世の中にはいること。
絶対忘れないで、
今回のコロナはあなたが変わるきっかけだよ。
わたしが伝えられることはここまででした。
母親に関して言えば、
『偏見に見られるから。』という概念が生まれるのは、
『じぶんが他者を偏見しているから。』
ただただこれだけ。
今回はこれが”保育士”という職業であったことに本当残念でした。
【コロナはただの風邪だよ。】
みんなかかるし、かかっても大丈夫。
じぶんの身体のケアを日頃からしていれば大丈夫。
だから、心も体もいつも万全な状態を保てるように
整えていればいい。
わたしは、コロナにかかった子どもを
抱きしめる度胸くらい持っている大人でありたい。