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死んでもいいからお外に出したんでしょ。

死んでもいいからお外に出したんでしょ。

【死んでもいいんでしょ】

娘に言われました。

本当はとてもとても可愛くて、大好きな長女。

以前あまりにもわたしからの忠告を聞かないので

玄関先に出した。

『外でよく考えてきなさい』と。

発端は歯磨きをしなかったことだけれど、

歯磨きをするかしないかは、

極論、本人次第の我が家なので

するかしないかが問題ではありません。

歯磨きをするから〇〇を食べさせてと

じぶんから交渉・約束したことに対して

最終的に守らなかったからわたしは叱った。

『よく考えてきてね』と玄関先に出したはいいけれど、

わたしの読みとは全くちがったのです。

しばらくしても入って来ず、

『考えたよね?寒いから中に入ろう』と

声をかけたわたしに長女は、

『死んでもいいから外に出したんでしょう』

『わたしはおうちに入らない』と言ってきた。

みなさんならどうしますか?

どう思いますか?

わたしは、自分の子ながら

ここまで考えいなかった。

返す言葉がありませんでした。

泣くと思ったし、すぐにおうちに入ると思ったから。

ここまで彼女の意思が、

頑なだとは思ってもいなかったから。

同時に、わたしの思っている以上に

長女は大人の行動を読んでいる。

意図がつかめている。

じぶんと大人を対等にみている。

自尊心の高い子に育ったな〜と感心したのです。

外に出されるということは、

危険に晒されることがあることを

長女はちゃんと知っていた。

危険に晒される可能性があるのに

外に出すということは、

自分がどうなってもいいということだと

関連付けた。

さらに、

わたしはおうちに入らない、と宣言。

だってママが出したんでしょう?

じゃあママが入りなって言うのはおかしくない?と。

当時5歳の女の子に対して

このくらいで考え直すだろう〜なんて、

年齢、思考、性格まで考えずにとった

わたしの爪の甘さが、

子どもの行動によって明るみになった瞬間だった。

じぶんの子をいつまでも子どもに見てしまうのはやめよう。

思っているより子どもたちは、

多くのことを知っているし、

多くのことに気がついているんだと思いました。

見くびってはいけないな。と

思わされる瞬間が多くなってきたときは、

こどもが見ている景色を想像してみる。

親が子どもを見る視点を

いまの我が子にあわせてみる。

大人が思っているよりずっと

子どもたちは多くのことに気づき

多くのことを知っているのだから。

大人も責任ある言動を

一貫した行動を取らなければ

子どもにすら翻弄されるかもしれない。

そのくらい現代の子どもは、

大人のすることを冷静に見ているということではないか。