【そこそこ不幸クセになる生き方】
病院でどんな苦労をしているかを話すご老人。
我が子をへりくだって話すママさんたち。
老化自慢する奥様たち。
とても不思議な光景なんです。
病気自慢や苦労自慢
たしかに誰かの共感や同情を生み、
話の中心にはなりますが、
そういうことで盛り上がるのは寂しいなと思います。
人はネガティブなことと
ポジティブなことがあったら、
ネガティブな方を選ぶ割合の方が多い。
わたしたち人間は、
リスクを負うことを避ける性質があるので
幸せな感覚が逃げることを心配してしまうのです。
それは幼い頃から
良い子でいると褒められたり、
我慢して乗り越えると褒め称えられたり、
こういった経験の積み重ねで
そこそこの不幸を乗り越えると報酬が得られる
ということがインプットされる日々を過ごしたから。
親がそうである姿を見せると
子どもも同じような日々を選択するようになります。
でもこのサイクルを作るには、
【そこそこの不幸】がないと成り立ちません。
だから人は誰よりも幸せオーラを出すよりも
そこそこの不幸を実現し、話すことで
快楽を得るのです。
ほとんどの人は、
なにかを我慢したり
ある程度の不幸を乗り越えることで
得られる。があり、
それよって幸せを感じるシステムなので
日々の全てが幸せでは困るということになります。
その結果、
わたしのほうが辛いのよ。
大変だったのよ。
うちの子なんてね。
あなたはいいじゃない。
そういった会話が飛び交っていると思いませんか。
でも一方、人が引くほど不幸だと
それもいかがなものか…
なので人はそこそこの人生を選んでいく。
でもそれって
じぶんでそこそこの人生を選び、
そこそこの不幸を現実にしながら
生きているということなので、
いつまでも
じぶんが描きたい幸せは
実現しないことにもなります。
そこそこの不幸を
外にアピールする必要はなく、
いまある幸福な感覚を
じぶんの中で味わうだけで
良いと思うのです。
そこそこのマイナスを使って
話のネタにするのは
じぶんのためにも
子どものためにもやめてみよう。
自己肯定感にも繋がることかと思うのです。