【もう無理わたしには育てられない】
長女が3歳をすぎたあたりから
『わたしに子どもを育てられる自信がない』と
毎日のように思うようになりました。
長女、2歳ごろから始まった
起きた瞬間から泣き叫ぶあの恐怖。
その泣き喚く時間は
仕事に間に合うか合わないかの
ギリギリのラインで攻めてくるし
帰ってきてからも
キッチンでよく泣いていた。
もう泣かれる毎日にうんざりしていたし
なにかの障害があるのでは?と思う日々。
当時、夫に相談した時は
『お前は娘を障がい者に仕立て上げている』と言われ
なんの相談もできずにいた。
5歳になったいまでも毎日のように泣くけれど
偶然出会ったアロマのおかげで
立て直す時間は最近は短くなりました。
それでもなぜ彼女はそんなにも
気に食わないことが多く
他の選択肢を選ぶことを許さずにこだわるのか。
『よくわからない』もう、この一言に尽きる。
イヌがクンクン言うように訴え、
手が出て足が出て
こちらの様子は目に入っていないような状態。
なにを言っても耳にわたしの声は入らない。
クンクン言い始めたら
じぶんの想像していることはなかなか文章にならない。
なぜそうなるのかわからないけれど、
わかることがひとつだけあって、
『彼女』は『わたし』
もう完全コピーのような存在。
わたしが荒れれば荒れるし
わたしが疲れていると彼女もまた疲れが溜まっている。
わたしが寂しい時は彼女も察知する
わたしが誰かを恋しい時は彼女も人肌恋しく思っている。
わたしが傷付けば彼女も傷ついている。
わたしに気に食わないことがあるように
彼女にもまた気に食わないことが多々ある。
そのくらい、
わたしの中のものを全て持って生まれたような子、だということ。
あまりに泣かれて
大変な時間をすごすと
冷静になれずとても辛く感じるけれど、
それでも彼女はわたしの写し鏡のような存在だから
わたしもまた、
彼女の寂しさや苦しみが手に取るようにわかる。
わたしは彼女の心に気づいているのに
その想いをすべて受け取れる器がなくて
受け取らないでいると娘はもっと荒れる。
どうしたらいいの?と思う時に
ある人がわたしにこう言う。
『だって、
娘ちゃんはアリスさんだよ?』
『女王さまと女王さまだから
こういうふうになるのはとても自然だよ』
『なにを今更いっちゃっているの』
『もっと簡単に考えてごらん』
そう言いながら
ある人はわたしと彼女の頭をなで、
背中をさすり、
両手いっぱいにわたしたちを包み込んでくれる。
うぅ・・と、心が泣く。
泣いてもいいかな・・と思う。
目が潤む。
彼女は、
わたしの心の真ん中にじぶんを置いて欲しいと願っている。
わかるけれど、
わたしにそれはできない。
そのバランスの取り方が難しくて
わたしたち親子には不具合が起きやすい。
それでも『彼女はわたし』だ。
母であるわたしに大事にされたい。
抱きしめられたい。
いつでも瞳の中にじぶんを入れて欲しい。
彼女がそうなら、
もしかしたらわたしもそうなのかもしれない。
『もう育てられない・・』と思っていたじぶんはいなくて
”子どもを育てる” ことは随分前にやめた。
『とにかく愛されたい』
『とにかく愛したい』
娘もわたしもただただその要望が強い、強すぎる。
その試されごとが毎日のように起きているだけ。
そう思わせてくれた
今日の娘に、ありがとうとごめんねを
涙ながらに伝えたわたしでした。
みなさんの親子関係はどうでしょうか?