【お願い、きいて。大人が悲鳴をあげている。】
わたしのコロナ対策本部での仕事で
1年が経過したあたりのお話です。
2021年の夏、デルタ株が大流行。
保健所にある何十台という電話が
鳴りやむ時間がないほど
電話は一日中鳴り響いていた。
大きな会議室に100人くらいのスタッフで
地域の患者の管理、対応をする。
職員の昼食のほとんどが、
ウィダーインゼリー。
カロリーメイト、カップラーメン。
食べる時間を確保できないほどだった。
22時過ぎまで患者と電話をする。
その後もSOSの電話は鳴りやまず、
対応に間に合わない。
電話待ちの患者は常に数百人といた。
電話を受け取ると
イライラした人間の声が聞こえてくる。
怒鳴っている大人の声がする。
泣いているママの声がする。
ようやく電話がつながったことによる
安堵感からなのか
患者は言いたいことを感情のままに述べる。
「熱はいつ下がるのか」
「咳はこのまま止まるのか」
「どうしたら治るのか」
じぶんの身体の状況を
他人に委ねる質問がおおく続いた。
話を聞いてあげたくても
出る電話、出る電話、
感情の荒ぶっている人間の声に
こちらも緊張する。
悲しくなる、申し訳なくなる、
見ず知らずの電話の向こうの人間に
人はこんなにも怒れるのだと
わたしは常に緊張していた。
2022年1月、オミクロンが流行した。
デルタ株以上の感染者に
本部は応援スタッフを用意し
200人を超える職員で対応した。
1日、一人で数十人の患者の対応をする。
止まるひまなく患者さんと話す。
それでも職員の帰宅時間は夜中。
電話が鳴りやむはずがない。
スタッフの健康をそこなう前に
休憩、睡眠、食事はちゃんととろうと
本部の意識が変わりつつあった。
デルタに引き続き
それを超える数のオミクロン感染者。
もうみんな無理だった。
みんな病院へ行かないでくれ。
検査をしないでくれ。
これくらいなら家にいて寝ていてくれ。
これくらいなら大丈夫だから。
そう呟きながら、
やっぱり患者からの声を聴くしかなかった。
この1年、
会議室の隅っこで泣く大人を見てきた。
体調を崩し、笑顔が消えた人を見てきた。
この空間にいるだけで
どうにかなるんじゃないか、大丈夫?と
声をかけたくなるような人もいた。
「もう無理です」と去った職員がたくさんいた。
重症化しないとわかっている風邪に
誰もが平常心でいたら、この騒動は終わる。
市民の認識で、これは確実に終わる。
「なんで罹ってしまったんだろう」
「どこからもらったんだろう」
「移らないようにしていたのに」
という認識さえ変われば、、、戻れば。
少しは話題にならなくなってきて、
少しは世の中の意識が緩やかになってはいるが、
現在でさえ終わらないのは、
このウイルスが蔓延しているからではない。
いつまでもこのウイルスを
特別だと思い込んでいるからだ。
現場のおとなは悲鳴をあげていました。
きいて。
怖がらなくても大丈夫。
これはただの風邪だ。