【子どもにルールを決める権利なし】
『大人は自由にマスクを外す場面と
外さない場面を決められるけれど
子どもはルールも決められないし
そこがおかしいと思いました。』
『黙食のルールが少し変わって楽しみにしていましたが、
すごい小声でしゃべってくださいと言われたので
少し残念でした。』
『給食のルールは誰が
向かい合って良いと言えばそうなるんですか?』
神奈川県葉山町の児童がそう言いました。
子どもにはルールを決める権利がない。
張り紙がされていれば従うしかないし、
その空間にはいれば、
指導されたことに反抗は許されない。
大人が用意する子どもの世界はこうだ。
子どもの意見が通るには
大人の審査を通過する必要がある。
でも、こどもだけの意見はほとんど通らない。
どうしてでしょう?
わたしたち大人の中に
子どもの考えることは詰めが甘いとか
ルールに従って決定していく必要があるとか
そんな簡単に決められないとか
こうしたらどうなるのか?
この場合は組織に許可を得なければならないか?とか
多くの大人は、
まだぶちあたってもいない問題に頭を悩ませるし、
言われてもいない批判のことを考える。
さらには
『社会にはルールがあるんだ』と言ったりする。
そう返ってきたときの
子どもたちの表情を大人はみえているか?
自分達の意見が通るイメージなんて
一生できないだろうし、
一体だれが自分達の意見を
聞いてくれるのか?と思うでしょう。
子どもたちの意見を跳ね返すのが大人だとしたら?
聞き入れるのも、叶えるのも大人の役目です。
子どもの素直な意見に同調したのであれば、
子どもに賛同して、
『子どもたちがこう言っているじゃないか!』と
代弁する者が増えたらいい。
子どもには大人が失った感覚がある。
子どもの感覚で生きていけば
人生は格段に幸せを感じる。
子どもたちの意見を取り入れれば社会が良くなる。
子どもとはそういう存在です。
人に対し、
欺くとか、反抗してやろうとか。
誰かを不幸にしてやろうとか。
犠牲になるものがいても仕方ないとか。
誰かになにか言われるだろうかとか。
子どもってそんなことは、
一切考えない。
生きるために必要な力を
すべて持っている存在で、
それは人を癒す力にもなり
励ます力にもなり、温もりを与える力にもなる。
わたしたち大人は、
子どもの声を
聞き入れなければならないと思うの。
遊びで主張しているわけでもなく、
一時的な気持ちで訴えているわけでもない。
毎日の日常から感じる
些細な違和感が言葉になっているだけです。
大人よりずっと
ホンモノの言葉だと思うんです。
『あぁ、この子達の言っていることは
本当だなぁ。』と思うのであれば
あなたは、一緒になって
社会に伝える大人になったらいい。
今日もあなたは
子どもたちの声をきき、
汲み取りましたか?